13件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

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広島市議会 2015-06-22 平成27年第 3回 6月定例会−06月22日-03号

その昔,田中角栄日本列島改造論日本の隅々にまで交通インフラ網を整備しようとしたその理念は,疲弊している地方にもヒトモノカネ東京から送ることであったそうですが,現実は逆に,より一層全てが東京に集まることに拍車をかけました。このことは,行政の思惑どおりヒトモノカネの流れをつくることがいかに難しいことであるかを物語っているように思います。  

呉市議会 2015-02-27 02月27日-02号

そういう中で、かつて地方持続可能性を有した社会構造を構築するために、いわゆる日本成長過程にあった時期いわゆる1970年代、80年代ですね、当時は右肩上がりですから、その当時の国家戦略として我々も私もよく認識しておりますけれど代表的なものとして、昭和でいいますと昭和47年田中角栄内閣日本列島改造論それからこれは死語なんですが昭和55年大平正芳内閣田園都市国家構想、それから昭和63年竹下登内閣

三原市議会 2015-02-27 02月27日-02号

そういう中で、かつて地方持続可能性を有した社会構造を構築するために、いわゆる日本成長過程にあった時期いわゆる1970年代、80年代ですね、当時は右肩上がりですから、その当時の国家戦略として我々も私もよく認識しておりますけれど代表的なものとして、昭和でいいますと昭和47年田中角栄内閣日本列島改造論それからこれは死語なんですが昭和55年大平正芳内閣田園都市国家構想、それから昭和63年竹下登内閣

廿日市市議会 2013-02-25 平成25年第1回定例会(第2日目) 本文 開催日:2013年02月25日

そして、社会経済状況も、これは昭和38年代、このごろから始まったんでしょうか、日本列島改造論から始まり高度成長期に入ってきたときに、所得倍増論はこれは広島県が生んだあの総理大臣池田さんが打って出たわけですけれども、その後の日本経済うなぎ登りに調子を上げてまいり、今日の経済大国まで来、私たちがこうして文化生活を営むに至ってきたわけです。

呉市議会 2012-06-22 06月22日-05号

高度成長期、特に田中内閣時の日本列島改造論を振りかざしての建設国債増発により、公共事業を多発することで、国、地方とも債務を膨らませ続けてきました。債券を多額発行しても、景気が高揚し、税収増になること、建設した公共財価値があるとの理由で、まさに自転車操業のごとく財政ツケを将来に後回しにし続けてきたのです。 

三原市議会 2012-06-22 06月22日-05号

高度成長期、特に田中内閣時の日本列島改造論を振りかざしての建設国債増発により、公共事業を多発することで、国、地方とも債務を膨らませ続けてきました。債券を多額発行しても、景気が高揚し、税収増になること、建設した公共財価値があるとの理由で、まさに自転車操業のごとく財政ツケを将来に後回しにし続けてきたのです。 

尾道市議会 2012-03-07 03月07日-03号

その後、田中内閣にかわり、当時「砂糖が角砂糖に変わっただけ」と、こういった冷ややかな声がする中、日本列島改造論を打ち出し、日本じゅう高速自動車道路を張りめぐらせて、現在の車社会につながっていると思うのでございます。 ついては、現代は寿命の倍増時代だと私は思っております。人生わずか50年という時代はもう遠い昔の話でございます。人間100歳まで生きれる時代が目前に来ております。

広島市議会 2003-06-30 平成15年第 3回 6月定例会−06月30日-03号

通産大臣のときに,日本列島改造論という本をお書きになって,次の自民党総裁選挙に出るという,そういう政策の一つであったんですが,まさに,47年の7月には,田中角栄さんが自民党総裁になり,そして,首班指名内閣総理大臣になられたわけであります。日本列島改造論をひっさげての内閣総理大臣でありますから,日本国じゅうがいわゆる土地ブームに沸いたわけであります。

尾道市議会 1998-06-17 06月17日-03号

四国と本州の間になぜ3本の橋が必要なのか、それはかって日本列島改造論の中で田中角栄氏は生き生きと描いておることは、前にもここで御紹介したことであります。がしかし、その後今日ではだれもがこのことの説明ができません。

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